うつ病でもフリーランスで独立開業できた話|障害者でもフリーランスになれる

皆さん初めまして。
私は過去に仕事上でうつ病になり、闘病の末にフリーランスのライターとして再起を図っている人間です。
転職とフリーランスでの開業は必ずしもイコールではありませんが、特にうつ病をはじめメンタル系の疾患で休職、退職を余儀なくされた方のお役に立てられればと思いまして、本記事を書かせていただきます。

執筆者のTwitter ⇒https://twitter.com/makken64833215

目次

なおこのサイトはメンタルヘルスのサイトではなく転職関連の情報サイトですので、あまり病気について細かいことは書きません。

うつ病でもフリーランスで独立開業できた話【会社編】

1.順風満帆だったキャリアが出向先で暗転

 

新入社員で入社して、6年間、私は丸の内を中心に2部署勤務していました。
勤務評定は良好で、全社員上位10%の評価を4年連続で獲得するなど、上層部の覚えもめでたかったようです。

当時の部署の上司や先輩にも恵まれて、残業は月に5時間前後、9時2分前に来て、17時2分に職場を出るのがデフォルト、つまり残業をつけなかったのではなく本当になかったのです。

しかも有給休暇も年間17日~18日取得し、何も言われません。
結果を出しているので、もう好きなように仕事をコントロールできていました。

自分自身「こんなに恵まれた環境で仕事をしている人間は日本にはいないのではないか?」と思うくらい、労働環境が恵まれていました。
この部署、この人間関係の中でずっと仕事できたらな~と思っていたのですが、会社員ということもありそういうわけにはいきませんでした。

3年の勤務の後に出向になってしまいました。

この出向は悪い意味ではありませんでした。新規にできた部署で、どうなるかわからない、しかし国や政府の政策形成にもかかわる部署なので(官僚ではありません)、下手な人を配置するわけにはいかなかったようです。というわけで、若手で能力があり評価も高い私が「栄転」となりました。

しかし、実際は違いました。
出向先は、はっきり言うと中央省庁と都銀と広告代理店とIT企業の「悪いところ」が一緒になったようなところでした。

夜の22時に書類が戻ってきて、翌朝までに仕上げる(当然帰れません)、上の方針1つで作っていた資料が180度変わる、分かりやすく言うと、上層部が「カラスは白い!」と言えばカラスが白いものとして仕事をしなくてはいけないところでした。

自分の裁量は全くなく、上に絶対服従。「お前らは海兵隊だ!真っ先に突撃して死ね!」そんな頭のおかしい常務と、絶対服従の部長兼理事、なにも言わない課長によって私の精神は蝕まれていくことになります。

ほどなく全く眠れなくなってしまいました。
それまでも、たまに眠れないときはありましたが2日連続で一睡もできないという異常事態です。
これはただ事ではないと思い、風邪をひいたと言って会社を休み、精神科へ駆け込みました。

今思えば、それより前に内科だろうと思うわけですが、もう正常な判断力が失われていたと思うべきでしょう。
4月1日に出向してわずか2週間でこのような状態になってしまいました。

「こんなのどこにでもあることだよ」と思う人もいるかもしれませんが

  • それまでの部署とのあまりのギャップ
  • 人によって「精神耐性」は差がある

ということなのだと思います。

同じ環境でもうつになる人、ならない人がいるのは、根性がどうこうではなく、持って生まれたものが大きいのだと思います。
持って生まれたから偉いとかでは全然ないです。
だって職場のほうがおかしいのですからね。

2.精神科の門をくぐる、どんどん増える薬

精神科では最初1種類処方されました。
これは胃薬にもなるもので効果は弱く、これで耐えられれば・・・ということでしたが、耐えられるはずもなく、どんどん悲しくなっていきます。

「これが抑うつ感なのか」と思うわけですが、自分ではどうしようもありません。

4月の段階で1種類だった薬は、6月に入ると3種類、5種類・・と増えていきます。
そして、「抗うつ薬」「抗不安薬」「睡眠薬」の「三連コンボ」によって私の脳と体はいよいよおかしくなっていくのでした。

しかし、当時私が通っていた精神科は、完全に5分診療ならぬ3分診療で、主治医は「薬を処方するマシーン」のようでした。

3.病気の症状、薬の副作用で苦しむ

薬を飲んでいても一向に症状は改善しません。

朝の電車の中では(幸い始発駅なので座って通勤できる)、椅子にもたれかかり職場のある駅まで記憶がないです。
眠気と抑うつ感で立っていられないのです。

出勤しても昼休みなどは、近くの公園のベンチに横になって意識を失うのが日常になりました。

主な症状として
①不眠
②動悸
③眠気
④不安感
⑤めまい
などがありました。

また、飲んでいる薬によって副作用も起きます。うつ病をはじめとした精神疾患では病気そのものだけではなく、薬の副作用とも戦わなくてはなりません。副作用を消すために別の薬を飲むという悪循環になります。

私が陥った副作用としては
⑥便秘(これまでなったことがないです)
⑦性機能障害(性欲がなくなり射精が難しくなります)
⑧過食(うつ病の人が太るには元気にする=食欲が出るというメカニズムによります)

つまりどんどん①~⑧の症状が出てきて、「全ステータス異常」というコンディションになります。
これではまともに仕事ができるわけありません。

4.最初の休職を経験する

8月の夏休みまで耐えて、例年行っていた一人旅に伊勢へ行きました。
しかし、伊勢神宮を観光するのが大変で、要は外を歩くことができず、ひたすらホテルで横になる(半分意識がない)有様でした。

「これでは死んでしまう」

私の中に恐怖と「もうどうにでもなれ~」という感情が生まれました。

休みが終わると、主治医のもとに行き「休職させてください。診断書を書いてください」と懇願します。

これによって会社内でのキャリアがなくなるのは明白でしたが、そういうことは全く頭にありませんでした。
おそらく本当的に「もう無理だ」ということで、今後について考えるのをやめたのだと思います。

出向先の課長に診断書を提出し、元の会社の総務部長、人事課長と面談します。
ちなみに、出向先の課長からは心配する声は一切ありませんでした。この冷酷マシーンが!

総務部長はこう言います

総務部長
ここで休職してしまうと、君のキャリアが大ダメージを受けてしまう。部署異動(本社に戻る)は確約するから何とかそれまでがんばれないか?有給を使ってもいい
人事課長
そうは言っても、診断書が出ています。何かあれば・・・
もう休ませてください!

休みたい以外の感情はなくなっています。
これはうつによって冷静な判断力がなくなっているからなのか、人間として休まないといけないから脳があえて働かないのか、どちらかだと思います。

ほどなく休職することになりました。もううれしくて仕方がなかったです。

5.復職後2か月で再休職する

本来休職時には「傷病手当金」を受給するのが筋ですが、人事課長が

人事課長
権利を使うのはもう少し後でもいいのでは?「傷病休暇」(会社の制度で有給が溜まるとさらに傷病休暇が溜まっていくもの。有給でボーナスだけその間半分になる)を先に使おう

というので、それに従いました。

この休職時は、実は元気でした。
様々なストレスから解放されたため、カラオケやゲーム三昧の毎日を送ります。
食欲もあり、また睡眠薬を半分にしても眠れました。

ストレスがなくなるとこんなにも楽になるんだ!というのが実感で、この分ならしばらくして復帰できるのでは?だったら、突然訪れた「人生の夏休み」をエンジョイしよう!とどこまでもポジティブな私でした。

でもそれは抑えつけられていたバネが一時的に開放されたものにすぎず、症状が良くなっているように見えただけだったのです。

「全然大丈夫じゃん」ということで、休職2か月半で復職になりました。
復職先の部署は本社で、出向前にいた部署に似た(同じではない)ところ。
そこならば自分のペースで問題なく仕事ができるはず!

でも実際は全く違いました。

復職先での業務負荷は全く重くありません。
むしろ、出向前の私ならば「楽勝」のはずなのですが、全く頭が動きません。
電車に乗るだけで抑うつ感が戻ってしまいます。つらくて椅子に座っているのがやっとです。

つまり、復職後すぐに元の症状が戻ってきてしまったのです。

うつ病はストレス源がなくなればすぐに良くなると思っていましたが違いました。

その時もう、私の脳はおかしくなっていて、2か月足らずの休息では元には戻らなくなっていました。
セロトニンが全く分泌されていなかったようです。

もう我慢できず、2か月経過したところで再度白旗=診断書を提出して再休職になります。

6.9か月間の苦しい休養を送る

さすがにこうなると人事課長も冷たいものでした。

人事課長
いい加減しっかりと治しなさい!

ということで傷病手当金を受給して、会社の就業規則にある休職期間MAX(1年)をめどに治すことになります。

幸い、傷病手当金は毎月20万円ほど給付されました。

この傷病手当金は、同じ病気の場合「もらい始めてから1年半経過するまで」もらえる保険金です。
合計で1年半ではないことに注意してください。

つまり受給→休職(1年半)→復職
ならば満額もらえますが受給→休職(6か月)復職→(1年間)→再休職
だと、再休職時には傷病手当金の受給権はなくなってしまっています。
日本の企業社会において最初で最後のセーフティーネットであり、そこで治さないともうチェックメイトです。

脇道はこのくらいにして、2回目の休職時には症状がかなり悪化していました。

日中は起きていることができず、ひたすら家のベッドで横になり意識を失っています。

目が覚めると気持ちが悪く、吐き気がものすごい、また朝も時間通りに起きられません。

遅く目が覚める→座っていられない→眠気がすごい→意識を失うの連続です。

病院ではこれでもかというくらい色々な薬の実験台にされてしまいます。

2週間おきに病院へ行き、薬が変わります。その都度、違う副作用が出てさらに苦しみます。

症状だけ見ると、最初の休職前よりもさらに悪いかもしれません。

中途半端に2か月半の休養で復職してしまったためさらに傷口を広げてしまったようです。

そこから色々な薬を試して、ようやく「これならば副作用は我慢できる」ラインを見つけることができました。
この投薬で様子を見ながら休養していきます。

徐々にですが、起きていられるようにありました。確かに完全休養すればうつ病の症状は回復してくるみたいです。

本当ならば1年間じっくり休養するはずでしたが、人事から出向前の部署(一番恵まれていたとき)の上司が、君のことを心配していて面倒を見たいと言っているという連絡がありました。

上司が人事に掛け合ってくれたようで、私のためにその年度はその上司の部署は1名減でやっている、これ以上延ばすと他の人を配置しないといけないぎりぎりだったそうです。

というわけで、その上司の部署で面倒を見てもらうために3か月早く再休職9か月で復帰することができました。

7.万全のバックアップで再復職

その上司の配慮はものすごくて、正社員の仕事とは思えないほど簡単なものでした。

もうキャリアはあきらめていたので、とにかく働いて給料がもらえるだけで十分です。

残業も完全に禁止で、ほとんど「好きなことをしていい」レベルでした。

完全配慮の中私は復職しました。

生活リズムもこれまで以上に気を付けていて、毎日21時30分には睡眠薬を飲んで床に就くという生活をしました。土日も外出はしません。

こんな生活では他に何もできないではないか?と思われますが、先の復職失敗を繰り返さないためにも、とにかく念には念を入れて脳と体の休息に充てることにしました。

これでよくなればよかったのですが実際は違ったのです。