うつ病でもフリーランスで独立開業できた話|障害者でもフリーランスになれる

 

うつ病で苦しんで独立!復職から退職まで【第2回】

 

職場の異動でうつ病になり休職したものの、休息が十分でなく復職後ほどなく再休職になってしまいました。
今後は傷病手当金も受給して万全の状態で復職したのですが、その後どうなったのでしょうか?展開は悪い方へと転がっていきます。どうなる!?私の人生。
目次
1.復職後当面はいい感じで進む
2.1年後まさかの再発
3.人事からのキャリア断絶宣言
4.うつ病の症状に苦しみながら死にそうな通勤
5.「君、会社のために障害者になってくれ」
6.完全に折れて再々休職
7.何も考えられず退職

うつ病でもフリーランスで独立開業できた話【退職編】

復職後当面はいい感じで進む

全面的に配慮された感じで再復職した私ですので、仕事上の負荷はほとんどありませんでした。

残業もなく、仕事で精神を病むということもありません。

ただし、数か月何も頭を使っていなかったので、ちょっと資料を作るだけでも疲労感はかなりのものでした。

脳の病気ですから脳を使うというのは、リハビリになる一方でこれまで以上に注意しないといけないわけです。

毎日21時30分睡眠を続けていたということもあり、睡眠時間については十分確保できていたと思います。

ただ、依然として眠りは浅く夜中に何度も目が覚める状況でした。

また寝入りも必ずしも良くなく、本当に眠りに落ちるのは23時くらいだったと思います。

ただ、うつ病によって破壊された生活のリズムを取り戻していくことで、体調を安定させていくことができるのではないかと思いました。

しかし1年後まさかの再発

年度が変わると、業務負荷が多少増えました。

残業も「解禁」となり多少残業することも出てきました(基本的にないのですが)。

これで少しずつ負荷をかけていっても大丈夫かな、と思っていた矢先、復職して1年後くらいからでしょうか?朝起きるのがつらくなりました。

朝目が覚めても猛烈な眠気とだるさで起きられないのです。

睡眠時間は早く寝ていますから、寝不足で眠いということではなさそうです。

そうです、まさかまさかの再発だったんです。

以後、症状はまたもとに戻っていきます。

不安感、焦燥感、だるさ等あらゆるステータスが悪化していく感じです。

かといって業務が原因だとは思いません。

上司は最大限の配慮をしていますし、残業も解禁になったとはいえほとんどしていません。

だから過重労働やパワハラということは全くないんです。

だとすると、やはり9か月では完全にうつ病を完解させるに至らなかったということになります。

これ以上休んだとしても、職場の休職期限のMAXは1年間、ひょっとすると1年間限界まで休職したとしても働ける状態にならなかったのかもしれません。

そう考えたとき私は大きく絶望してしまいました。余計うつがひどくなります。

人事からのキャリア断絶宣言を受ける

そのころ新しい人事課長から呼び出されて面談をしました。

休職→復職→再休職→再復職と2回「やらかしている」私への言葉は残酷なものでした。

まず2段階降格が伝えられ給与が下がりました。

加えて

人事課長
君の場合は将来的にも管理職への登用はない

と言われました。

課長は部長などのライン管理職は無理だと思っていましたが、調査役などのスタッフ管理職も無理で、一生平社員という宣告は厳しいものがありました。

いつ、うつ病が再発して働けなくなる人を管理職にさせておけないのはわかりますが、明らかに私よりも使えない人が管理職でいるので、やはり納得がいきません。

給与体系上も私の年収の天井が分かってしまいました。せっかく苦労して就職したのに、これでは・・・。

ひょっとすると遠回しの「退職勧告」だったのかもしれません。もう社内でのキャリアは完全に断絶したのだとこの時確信しました。

このまま働いていいものか?と思うと同時にうつ病が再発してもっと大変なことになります。

うつ病の症状に苦しみながら死にそうな通勤する


再発したうつ病の症状はすさまじいものでした。

朝、無理やりベッドから出て出勤します。

電車内(最寄駅が始発駅なので必ず座れる)では、椅子にもたれかかり昏倒してしまいます。

職場のある駅を乗り過ごしてしまうこともありました。

とにかくあまりにつらいので電車に乗っている時の記憶がないんです。

だんだんと業務ができない状況になってきました。

私の当時の仕事で外回りがあったのですが、外へ出ることができずオフィスが入っているビルの地下にあるソファで数時間昏倒するということもありました。

あるいは、マンガ喫茶に入り、ソファ席でやはり数時間意識を失うなんてこともありました。

要は起きて勤務時間を過ごすこと自体ができなくなっていたんです。

これで出勤していること自体が奇跡で、家で休職どころか病院へ入院していてもおかしくないくらいです。

休職明けから2年間は再休職(私の場合再々休職)ができないので、このまま働けなくなれば辞めるしかありません。

まだ、そこまで人生あきらめがつかないので、ひたすら耐え忍ぶ感じになります。

でももう限界が来ていました。再発から1年経たずに、もう生きていること自体がつらいという最悪の状況に追い込まれていきました。

ちなみに、理解があった上司が異動し、権力と出世しか考えない最悪の男が上司になったことも影響しています。

「上に上がりたいんだろ」と圧力をかけて業務負荷を増やしていきます。人事は私の病気を把握しているわけですから、意図的に合法的にプレッシャーをかけて辞めさせる方向にもっていっているとしか思えませんでした。

「君、会社のために障害者になってくれ」と言われる

そんな折、また人事課長に呼び出されてしまいます。
怒られるのかと思いましたが違いまして、こんなことを言われました。

人事課長
障害者の法定雇用率って知っている?
人事課長
うちの会社、法定雇用率に満たないんだ。このままだとよくない
人事課長
うつ病で障害者手帳が取れるんだよ

つまり「会社で障害者が足りていないからお前が障害者になれ」ということでした。

もちろん、その通りに話したら大変なことになりますので、3段論法で圧力をかけたわけです。

障害者手帳を持つことには抵抗がありましたが、この段階では何も考えられずに受け入れるしかありませんでした。

主治医に話すと「取れるけどいいんだね。法的にも障害者になるよ」と言われましたが「いいです」と返すしかありませんでした。

ちなみに、再発してから薬は増えていません。これ以上増やすと副作用でヤバいギリギリのところで維持していたのでそのバランスを壊すことはできませんでした。新しい薬を飲んで、さらに症状が悪化したら「這ってでも通勤」すらできなくなってしまいます。

完全に折れて再々休職する

症状が悪化してどうにもならなくなっていたとき、上司の男はさらに業務負荷をかけてきます。
同じことをしているのに私だけ呼び出されて延々と説教を受けます。

明らかにパワハラであり、人事も知っている(もっと言うと人事課長とその上司は友人)わけで、明らかに阿吽の呼吸で私をつぶすべく動いていたとしか思えない、そんな気持ちになっていました(もう思考回路がおかしくなっていたのかもしれません)。

結局、何もできなくなり、起きられなくなったため再復職から2年経過してすぐにまた休職をすることになりました。

ちなみにその時に面談した産業医の言葉は一生忘れることができません。

産業医
また休むのかこの怠け者が
とっとと実家に帰れ。自殺されても迷惑だからな
○○さん(あの上司の男)ほどいい人はいない。あんな恵まれた上司で理解があるのにお前というやつは・・

上司の男はかつて労働組合の執行委員長をしていて、産業医と個人的に仲が良かったんです。

実は

  • おかしくなった部署の課長:労働組合元執行委員長
  • 人事課長(1人目):労働組合元執行委員長
  • 人事課長(2人目):労働組合元執行委員長
  • 最後の上司の男:労働組合元執行委員長

と驚くべき癒着構造。
唯一まともだったのが、私を部署に戻すために尽力してくれた上司になります(労働組合関係ない)。

何も考えられず退職をする

本当ならばすぐにでも退職すべきだったのですが、当時は退職届を書くことすらできない状況でした。
とにかくひたすら眠るしかありません。

過去の休職時よりもはるかに症状が重いです。昼どころか夕方17時過ぎまでベッドから出られないということもありました。ほぼ寝たきりでパソコンをいじることもできません。限界に来ていて、うつ病で自殺する人の気持ちがわかりました。

通院だけはするのですが、毎回薬が変わっていきます。
その都度違う副作用に苦しんで・・の繰り返しです。
ここまで悪くなった症状を改善させる抗うつ薬はもうないようです。

結局再々休職から半年後、2013年6月末を持って退職することになりました。
うつ病の症状はひどいので今後の展望は全くないまま退職になりました。

退職金ですが、200万円あるはずが20%減額されていました。
私よりも前に若手の退職が後を絶たなかったため、勤続10年未満の人は退職金が減額されるように就業規則が改訂されていました。

私は10年以上会社に籍はありましたが、休職期間は勤続年数に算入されないということで、数か月足りずに40万円を失ってしまいました。運命は私に悪いことばかりするな、という気持ちが大きかったです。

療養、回復編については次回書きます。