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うつ病で退職の手続きと療養生活編【第3回】
あのような経緯でうつ病によって会社を退職してしまった私ですが、当面転職のことなど考えられません。
もう、傷病手当金もなく働かないと生きていけないわけですが、とても働ける状態ではないので、当面療養に専念することになります。
目次
2.療養生活
3.薬はどんどん減っていった
4.徐々に「転職」を考えられるようになる
うつ病でもフリーランスで独立開業できた話【療養編】
1.退職にともなう手続きが大変だった
退職して転職活動をしないわけですから、療養のための各種手続きを取らないといけません。
具体的には
- 年金
- 失業手当
- 健康保険
をどうするかです。
しかし、当時の私はほぼ寝たきりですから、役所に行って手続きを取るのも大事です。
17時までに役所に行ける日が少ないんです(ベッドから起き上がれない)。
年金
支払うことができませんので役所に行って免除の手続きを取ります。
失業および病気であること、障害者であることを伝えると、「免除になります」ということでしたので免除の手続きを取りました。
免除期間も転職するまでは加入年数に入るそうなので、そのまま放置するよりもお得です。
失業手当
働けない人は転職活動などできませんから、失業手当の受給もできるはずがありません(だって応募しても面接に行けないわけで・・・)。
最寄りのハローワークへ行き、医師の診断書を添えて出して、働けるようになるまで失業手当受給の権利延長してもらいます。
これについては退職した日から1か月後から2か月以内に、とかややこしい制度だったのですが何とか終えることができました。
私の場合、障害者ですので失業手当が300日最高でもらえます。
何とかこれで1年分くらいは生活して行ける保障がありました。
これは普通の人だと90日しかもらえませんから、ある意味障害者になってよかったことでもあります。
しかし、この時点ではうつ病の症状がひどくて転職のことなど考えられる状況ではありませんでした。
健康保険
こちらも国民健康保険に切り替えになりますが、そうした手続きを取ること自体が大きな負担であり、また住んでいる自治体のHPで計算してみると、かなり高いです。
どうやら元の健康保険を「任意継続」したほうが安いことがわかりました。
退職 2013年6月
ですので、2012年分の所得で保険料が計算される2014年3月までは任意継続にして、退職金以外収入がなかった2013年分で計算される2014年4月以降支払いから国民健康保険に切り替えることにしました。国民健康保険に切り替えた場合 約30000円/月
それまでの健康保険を任意継続した場合 約25000円/月
今でこそこうやってすらすら文章を書いていますが、当時はまったくそういうことができませんでした。
誰も教えてくれないので、起きられない体を無理やり起こしてPCで検索します。
この3つが片付いてようやく完全療養生活になります。
当座の生活資金は退職金(200万円のはずが160万円に減額。さらに休職中に会社が立て替えた年金住民税健康保険を引かれて120万円・・・)があるので何とかなりそうです。
なお、住民税についても給料から天引きされなくなくなるので自分で払います。
これはコンビニ納付ができるので、役所が閉まっている時間でも問題なかったのですが、「こんなに払っていたんだ」と改めて驚きました。職を失って初めて気づく重税感です。
2.療養生活を送る
療養生活はひたすら寝ていることだけです。
転院した病院では「外を歩け」「太陽の光を浴びろ」「運動をしなさい」と指導されますが、もちろん寝ていたいときはそれが優先されます。
とにかく昼に起きられない体ですので、無理をせず何も考えずに休息を取り続けます。
月の半分は実家に帰り、家族に養ってもらうようになりました。
食費も光熱費もかかりませんのでその方が楽です。
これを1年以上続けたと思います。
休息しているときは本当に何もできないので、その時の記憶がありません。
食欲もなくて、その日夕食に食べられそうなものを食べるといった感じです。
日中は気持ちが悪くで、指を喉に突っ込んで「げぇげぇ」とする毎日でした(嘔吐するわけではなくただ気持ちが悪いんです)。
カウンセラーから「毎日22時には寝なさい」と強く言われていました。
それだけはなるべく実践できるように頑張りました。
貯金もそれなりにあったので転職についてはその時は全く考えないようにしました。
というか、とても定時に起きて出勤できる体調ではなかったですし、回復する見込みが全くありませんでした。
当時のSNSには「執事喫茶で働きたい」などと意味不明なことを書いていました。
脳が本当におかしくなっていたのだと思います。
ちなみに私のようなアラフォーが執事になれるはずもありません(本当の執事じゃないですし)。
漠然とした将来への不安はありましたが、どうやって転職しようか、あるいはどういう仕事を今後したいのか、そういう気持ちは全く出て来ませんでした。
本能的に体が考えることを拒否していたのだと思います。
毎日、起きて、食べて、寝るだけで精いっぱいです。
3.薬はどんどん減っていった
一進一退を繰り返している病状ですが、薬についてはどんどん減っていきます。
薬が減るということはそれによる副作用がなくなるということです。
下剤を飲まないといけなかった状態も改善されていきます。
徐々に抑うつ症状以外の症状がなくなっていき、よりうつの「本丸」が浮かび上がってきました。
どうやらうつ病によって、自律神経、特に交感神経と副交感神経のバランスがおかしくなっているということが分かってきました。
しかし、それを薬で治そうとすれば抗うつ薬を飲まなければならず、元の木阿弥になってしまいます。
そこで、主治医に相談して別途漢方医を探すことにしました。
幸い、いい漢方医が見つかり、そこの医師にはうつ病でこうなった旨を伝えて、体の改善については漢方医にお願いすることにしました。
- 脳の改善:精神科医
- 体の改善:漢方医
で2つの病院を両輪にして改善、回復を図ることにしました。
双方の医師には常に「お薬手帳」を見せて、過剰な服薬などがないかチェックしていきます。
血液の数字など健康管理全般については漢方医にお願いすることにしました。
漢方医は当初私の舌(漢方では舌の色で体調を見る)を見て「これはひどい」と言う感想を述べました。
ありとあらゆる体内のバランスがおかしくなっていたようです。
やはり、生活習慣についても指導がありました。
漢方薬については勝手に飲むのはよくないので、市販の漢方薬については飲まないように指導されました。
確かにそうですね。
このような流れで、精神科と漢方内科という2つの方面からうつ病の回復、改善を図っていくことにしました。
4.徐々に「転職」を考えられるようになる
転職というか働くためには、根本的に体内の状態を改善しないと話にならない、そのくらいうつ病で色々なバランスがおかしくなっているということでした。
漢方薬は1種類の処方を基本とするため、最初は毒素を排出するものを飲んでデトックス効果をもたらし、そこから徐々に体内を改善していくという流れになりました。
すぐに良くなるものではなく、大変だけど毎日の規則正しい生活を心がけるのが大事だと漢方医は言いました。
というわけ、でがんばって朝起きて夜寝るという生活を意識的に続けていくことになりました。
つらい時には寝ていてOKです。
無理やり負担をかける必要はなく、ここまで来たら腰を据えて治していくしかありません。
転職や復職はその先にあり、ここで焦っても意味がないのです。
幸い私は独身だったので療養に専念できましたが、結婚していて子供がいる場合は、そうもいかなかったと思います。
離婚、家庭崩壊・・・、そういうネガティブなイメージがどうしても頭をよぎります。
妻がいたとしても共働きで私を支えてくれたかというと、どうなのでしょうか?
日中寝たきりで過ごさなくても徐々に起きられるようになりました。とはいえ、病院以外の外出はまだまだ負荷が大きくできません。精神科を転院して1年後には、抗うつ薬、抗不安薬がなくなり睡眠薬だけになりました。
一方で漢方医の方も舌の色などが徐々に改善に向かっているという診察をしていただけるようになりました。
カウンセリングで「感情の処理の仕方が重要だ」ということを教わりました。
うつ病は「いい人」「自分の感情を殺してしまう人」が多いようで、いわゆる「空気が読めない人」とは真逆の存在だそうです。
「心理検査」(発達障害やアスペルガーなどの傾向を調べる検査)をしようかと医師に訴え出ましたが、「いいことはないからやめておけ。それにあなたは先天的な発達障害のようなものではない。むしろ逆だ」と言われて止めました。
色々検査をすると却って悪化してしまうものもあるようです。
丸一年間は療養に充てた
2013年に退職し、2014年は完全に療養だけに充てました。
そうは言っても資金は減ってきていますし、転職というか次の生き方について考えなければいけなくなります。
徐々にそのような将来について考えられるようになってきました。
これはそれまでの自分と比較してかなり大きな変化でした。
私の脳も完全療養モードではなくなってきていて、それは本能的に体が改善してきていることの証左でもありました。
ここまで(職場に行かなくなり)2年が必要でした。
うつ病になるとそれだけの単位で完全休息しないと改善は無理なんだな、ということなんですね。
厳しい病気です。
さあ、転職はどうしましょうか・・・。
実際に私のように病んでブランクが飽き過ぎた人間に求人などあるのでしょうか?