ライター、イラストレーター、漫画家です。 最新刊は幻冬舎新書の“ホームレス消滅”になります!!
“禁断の現場に行ってきた”“こじき大百科”“ホームレス大図鑑”“ホームレスが流した涙”“ホームレス大博覧会”“ゴミ屋敷奮闘記”“樹海考”丸山ゴンザレスさんとの共著“危険地帯潜入調査報告書”など。
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ホームレスは元々なんの仕事をしていた?
ホームレスを取材をして記事を書くようになってもう20年以上になる。
読者の皆さんが、一番関心があるのは『ホームレスは元々、なんの仕事をしていたのか?』であるようだ。
「どんな職業の人が、なにゆえにホームレスに“転落”したか?」を聞きたがる。
まず、ホームレスの前職で最も多いのが、日雇い労働者だった。日雇い労働者を求める業者が集まる“寄せ場”にて、手配師と呼ばれる人材斡旋をする人間から仕事をもらい、土木現場などで肉体労働をする、というのが従来の日雇い労働のあり方だった。
寄せ場は、ドヤ街と呼ばれる街の中にある場合が多かった。有名なところだと、大阪の西成(あいりん地区)や、東京の山谷、横浜の寿町だ。
ドヤ街のドヤは宿(ヤド)の隠語である。つまり、日雇い労働者のための簡易宿泊施設が並ぶ街だ。日雇い労働者は稼いだお金で、宿代を払って生活する、いわば自転車営業だ。
契約したアパートではないから、家賃の支払いが滞ればすぐに追い出されてしまう。例えば現場で腰をいためてしまった、などの理由で仕事ができなくなり、収入が途絶えればすぐに野宿生活に落ちてしまう、ギリギリの崖っぷちに生きている。
話を聞いていると、実際怪我や病気でホームレスになった人は多かった。ただ、それ以上に酒でダメになった人が多かった。
「酒飲んで起きたら昼で。それでクビになっちゃった」
「酔ってケンカばかりしてたら、手配師が仕事を回してくれなくなった」など、酒に飲まれて仕事をなくしてしまった話は、枚挙にいとまがない。
またもっと大胆な人もいた。
「冬はドヤに泊まらないと寒いけど、夏は別に外で寝たって死なないからな。普通にアオカン(野外で寝ること)してたよ」と、夏場は自らホームレス生活をしている人もいた。
現在では、日雇い労働者のあり方が変わり、寄せ場に行ってもあまり仕事は募集していない。だから前職が日雇い労働者だったという人も減少している。
たしかにホームレスになる前の前職が、「日雇い労働者だ」という人は多かった。
では、日雇い労働者=ホームレス予備軍なのか?
ただこれは「日本人は病院で死ぬ割合が最も多い」と言うのと同じ“言葉のトリック”が含まれている。
たしかに病院で死ぬ人は多いが、「交通事故で運ばれて来て死ぬ人」「新型コロナで死ぬ人」「心臓の手術を失敗して死ぬ人」など、状況はそれぞれである。
なにが言いたいかというと、「日雇い労働をしなければならない」という時点で、かなり危機的な状況なのだ。立ち行かなくなってしかたなく日雇い労働に身をやつしている場合が多い。
もちろん若い時分から日雇い労働だけしてきた、という人もいる。だが、日雇い労働者になる前には、なんらかの仕事をしていたが、立ち行かなくなり、仕方なく日雇い労働をしたという人がとても多かった。
だから日雇い労働の前の仕事を問うと、バラエティーに富んだ職業を聞くことができる。
その中から記憶に残った「ホームレスの前職」を紹介したい。
ホームレスの前職とは
警察官からホームレスに
意外とよく耳にしたのが警察官だ。これは警察官がホームレスになりやすいのではなく、警察官の人数が多いのが原因だろう。
新宿駅西口で暮らす70代の男性は、「若い頃はちゃんと働いてたよ。でも上司に反発してもめて、結局30過ぎで辞めた。その後は、警察だったことを生かして探偵をやったけど上手くいかなくて、ラーメン屋をはじめた。これは上手くいったけど、稼いだお金は全部キャバレーやクラブで使っちゃって、嫁と娘は愛想つかして出ていったね(笑)」と語った。
彼の寝床の前には、彼が書いた“ホームレスの詩(うた)”がたくさん飾られていたが、中でも『我、人生に悔いあり』という言葉が印象的だった。
「普通、『悔いなし』って書くよね。でも正直悔いだらけだよ。ただ、ホームレス生活自体は、楽しいけどね。寒いけどな(笑)」と明るく語った。
高収入のMRからホームレスになった人も
代々木公園の奥まった場所にある東屋で暮らしていた男性は、ヒゲモジャでまるで某宗教のリーダーのような外観だった。
だが意外と若くまだ50代で、会話はとても理知的だった。前職はMRだという。MRとは、医薬情報担当者の通称であり、医療用医薬品を医療関係者に売り込むのが仕事だ。
「MRって言えばかっこいいけど、“病院の奴隷”だよ。病院に薬買ってもらえなきゃ、製薬会社は潰れるからね。
バブルの時はすごかったよ。医者に自動車買ってあげたり、看護師とか全員ハワイ旅行に連れて行ったりね。
当時、よく医療関係者と麻雀やってたんだけど、ヤバかった。段ボールに万札がバサーって入ってたよ」
と当時の様子を喜々として語った。ただ、そんなに景気が良い時代もあったのに、なぜホームレスになってしまったのだろう?
「ああ、逮捕されたんだよね。医師法違反と薬事法違反でガッチリ捕まった。執行猶予4年がついて会社はクビ。それで、結局ホームレスになった」
彼は、妻と子供と離れる形でホームレスになったという。だが、実は縁は切れていないそうだ。
話を聞くと、ホームレスになった後も家族とつながっているホームレスは時折いる。だったら、一緒に暮らせばいいじゃないか? と思うのだが、そう上手くはいかないようだ。
「30過ぎた子供が、たまに弁当持ってきてくれるよ。食い物じゃなく、金もってこいって怒鳴るんだけどね(笑)」
彼は最後に深くため息をつくと、「あ~またバブル来ねえかな~」とつぶやいた。
バブル時代を生きた人は、たといホームレスになってもバブルを夢見るんだなあ……と思った。
トラックドライバーからホームレスに
渋谷の宮下公園はかつてはホームレスがたくさん住んでいた。
当時、宮下公園で野宿公園をしていた50代のおじさんに話しかけると、元はトラックドライバーだったと語った。前職がトラックドライバーという人もたまにいる。だが、インパクトがあったのは、彼がホームレスになった理由だった。
「知り合いが宮下公園でホームレスやってたんだよ。それでお酒持って遊びに来た。それで一緒に飲んで酔っ払って寝ちゃったら、誰かに財布取られちゃったんだ」
財布の中には、たいして現金は入っていなかったが、免許証が入っていた。「免許証がなくなったら運転できないだろ。だから会社に行って、説明したり謝ったりしなきゃいけない。これがまあめんどくさいんだよ」
会社に説明している時に、口論になってしまった。そして彼は思わず「だったら、辞めます」と宣言してしまった。
そうして、実際彼は会社を辞めた。つまり彼は財布を落としたから、ホームレスになったのだ。
「馬鹿な、そんなことで?」と思うかもしれないが、実は財布を落としたのをキッカケにホームレスになったという話を聞いたのは彼で2人目だった。
そんなことでホームレスになってしまう人はいるのだ。
「で、俺も宮下公園に来てホームレスはじめたんだ。まあこの暮らしは気楽だよな。俺の友達は、その後ホームレスやめて、今はアパート暮らししてるけどな」とおじさんは飄々と語った。
新型コロナウィルスの影響でホームレスになった人も
最後は今年の6月に多摩川の河川敷で話を聞いた60代の男性の話を紹介する。
河川敷の線路の下で必死に空き缶を潰していた。テントは市販のもので新しかった。まだホームレス生活に慣れていないという雰囲気がした。
「4月にホームレスになったばっかりだよ。コロナで働いていた居酒屋をクビになっちゃったんだ。クビっていうか、お店が潰れちゃったという感じかな」
場所を聞くと、河川敷からほど近い場所だった。貯金をほとんどしてこなかったそうで、一ヶ月経たぬうちに手持ちのお金はなくなりホームレス生活を余儀なくされた。
「いやあ、コロナ以降はまったく客が来なくなった。失職した後、すぐに仕事を探し始めたけど全然見つからなかったねえ。そらコロナだし、60歳過ぎてるし、当たり前なんだけどね。こんな生活からは抜け出さないと思うんだけど……」と顔を曇らせた。
後日また顔を出したが、彼がテントを建てた場所には役所が建てたと『立ち退き命令』の札だけがあった。
コロナで家を失って、テントすら立ち退かされて、踏んだり蹴ったりだ。なんとか上手く立ち直っていると良いのだけどと、願った。
まとめ|なぜ彼らはホームレスになったのか
話を最初に戻すが、『ホームレスは元々、なんの仕事をしていたのか?』と筆者に尋ねる人は、
「自分はホームレスにならない」という自信がある人だと思う。
「自己責任」だとか「なまけもの」だとか、そんな言葉を口にする人も多い。
もちろん、本人の責任がないわけではない。酒に酔って暴れたとか、犯罪を犯して逮捕された、とかは本人が責められる部分もある。
ただ、「まさか自分がホームレスになるとは思っていなかったんだよ。気づいたらいつの間にか、野宿するしかなくなってた……」と語る人はとても多かった。
馬鹿にしたり、嗤ったりするより、“明日は我が身”と肝に銘じた方が賢明である。
執筆者:村田らむ
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