※写真 OL時代。仕事も人間関係にも恵まれ、毎日楽しく働いていました。
現在フリーランス(WEBライター・ブロガー)として活動しています。早いもので、もうすぐ1年。今の仕事につく前は、地元企業の住宅メーカーで一般事務をしていました。
執筆者のTwitter:https://twitter.com/skrninjin
この記事はたった3分で女性のフリーランス転身の決意や葛藤を知る事と前に進む勇気に触れる事ができます。
30歳目前にして、正社員の立場を捨て転職。しかもフリーランスで、職業は今までと全く畑のちがう文章を書くという仕事。我ながらぶっとんでんなと思います。
でも1年間、なんとかやってくることができました。そして結論から言えば「転職をして本当に正解」でした。
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なんの資格もスキルもない私がフリーランスになった話
※現在の写真。
“30歳”なんてただの数字。わかっているけど…それでもひとつの節目な気がして、近づくにつれて漠然と「このままでいいのかな」と思うことが増えてきますよね。仕事もそのうちのひとつ。
この記事にたどり着いたあなたも同じ気持ちでしょうか。
それでも環境を変えるのって勇気が入るもの。今の職場にそこまでの不満がないのならなおさら。
考えれば考えるほど何が正解かわからなくなって、転職したら家族や同僚に心配・迷惑をかけるかも、、、なんて周りのことまで気になりだしちゃって…。
って、それめっちゃくちゃわかる~~~!!!
私も実際そうでしたし、まわりにも同じ状況で悩んでいる子がたくさんいます。
ということで、今日は、ほんっと~~~~によく聞かれるこの質問、“退職を決意したきっかけ” と、“まわりの反応”についての“リアル”を書きました。書きながら感情移入しすぎて夢に上司がでてきちゃったよ。なんだこれ。
これから転職を考えている、同世代の参考になれれば幸いです。
最高だった職場からの転職
※写真 OL時代
私の転職の理由は、会社が嫌だったとか、スキルアップしたいとか…そういうことではありませんでした。
尊敬する上司に優しい同僚、人間関係は良好。業務内容もやりがいを感じながら打ち込めるもので、まさに“最高な職場”。(嫌だったことといえば、朝礼での1分間スピーチくらい)
では、なぜ辞めたのか。
一言で言うならば、飽きてしまいました。
いつからか、“やりがいのある仕事”は、“こなすだけの仕事”になり、楽しいのは“仕事”ではなく、“同僚とのおしゃべりタイム”だけになっていたんです。
会社にいながらも頭の中は、趣味である旅行や家庭菜園のことばかり。どんどんと仕事への気持ちが減っていくのを感じました。人生の多くの時間を占める仕事、それなら夢中になれることをやりたい。このまま何年も痩せてしまった気持ちのままここで働き続けるなんて無理だなと。
そこから退職を意識し始めたというものの、慣れた仕事に大すきな同僚。特別やりたいことも資格もない。これらは私にとって「退職」という2文字から目をそむけ続けるのに充分すぎる理由でした。
それでも、決断の日はいきなりやってくるもんなんですね。
ある日の朝いつも通り会社に行く前に畑を耕していたときに、
本当に急に。完全に直感でした。
今までずっとぼんやり思っていた退職でしたが、このとき気持ちはすごくスッキリしており、少しの迷いもなかったことを覚えています。
誰にも引き止められなかった
※写真 退職した次の日。河津桜をみにいきました。
「今日言わなかったらきっとまた迷ってしまう」そう思ったので、その日のうちに報告することに。
転職経験がないのでどうしたら良いのかわからず、まずは総務課に相談。退職するのにベストなタイミング、上司へ退職願をだすタイミング、引き継ぎのことなどを教えてもらいました。
退職するのにベストなタイミングを聞いたのは、退職を急いでいたわけではないので(別の会社に転職をするわけでもないし、引っ越しの予定も特になかったので)ボーナスもしっかりもらいつつ、繁忙期を避けて退職したかったからです。
なんの資格もスキルもない私が退職を打ち明けた時の周囲の反応
そうして数日後、支店長に退職の旨をつたえました。
※写真 憧れていた「場所と時間に縛られない仕事」フリーランス1年目は毎月のように旅をしていました。(長野にて)
そして次に一番尊敬していた上司へ。誰に話しても平気だったのに、このときは話す前から色々な気持ちがこみ上げてきて涙が止まらなくなってしまいました。
誰も引き止めてくれない…?
正直少しさみしかったけど(笑)これでよかった。引き止められたらきっと気持ちが揺らいでしまうから。
まさかこれが人生のピーク?と思うくらい素敵な言葉を沢山かけてもらいました。引き止められなかったのは上司達の優しさだと思います(そうであってほしい)
その後、送別会も6回開いてもらったり、外注仕事をいただいたり今でも良い関係が続いています。改めて、めちゃくちゃ良い会社にいました。
繰り返しになりますが、ただの一度も誰からも引き止められなかったのは上司達の優しさです(まじで頼むからそうであってくれ)
ブロガーという職業は真面目な父を不安にさせた
※写真 三戸町ライティングコンテスト授賞式で表彰されました!
新卒から働いていた会社を辞め、ブロガーに。(当時はまだライターはやっておらずブログ1本でした)
この話になるとたいてい聞かれるのが “親の反応はどうだった?!”
だよね~~~そこ気になるよね~~~。
自分の人生とはいえ、やはり親には心配かけたくないしできることなら応援してもらいたいものですよね。
はじめからブログをやっているのを知っている母は「いつかそう言うと思ってたよ」という感じで応援してくれました。
サラっと背中を推してくれたけど、後から聞いたらやっぱり心配だったそう。でも本人がやりたいなら応援したいと思ったって。いつもありがとうお母さん。
そして父。うちのお父さんは本当にお堅く真面目な人です。たまにこっちがもどかしくなるくらい真面目。まじめキング。
そんなまじめキングな父なので、理解してもらうには時間がかかると思い事後報告にしました。
この時、ブロガーって何?と完全にはてなだったお父さん。ここからしばらくは会う度に「仕事はどうだ?」「ちゃんと食べるか?」と心配心配超心配って感じでした。
でも、先日すごく嬉しいことがあって。二人で飲みに行ったんですけど、お店の大将に「これうちの娘!ブロガーなんだよ!これブログ!」と、行く店行く店で自慢するんですよ。
「も~~やめてよ」とかいいつつも “ああ応援してくれているんだな” とうれしくなったし正直ホッとしました。お父さん、理解してくれてありがとう。なんとか1年やってこれました。
ちなみに姉は私の文章をめちゃくちゃ褒めてくれて、兄はインターネットで顔出し実名出ししていることに心配していましたが「いいんじゃない?」という感じだった気がする。
今では家族・親戚も皆ブログ読んでくれるし応援してくれています。幸せか。
余談:なんのスクルもない私がフリーランスブロガーになった理由
※写真 憧れていた「場所と時間に縛られない仕事」フリーランス1年目は毎月のように旅をしていました。(東京にて)
いまでこそライターとして活動していますが、当時はライター経験ゼロ。ブログで生活していくといいつつも、ブログ収益3万円程度。完全に退職金頼りでした(笑)
それなのになぜ、ブロガー(フリーランス)という道を選んだのかというと、ひとつはやりたいことがふわふわしているまま次の会社に就職してもまた繰り返しになると思ったから。
もうひとつは、丁度そのとき畑(家庭菜園)に旅、キャンプと趣味が大忙しだったもので・・・好きなときに好きな場所好きなことをやって過ごしたかったから。
つまり選択肢はフリーランスしかなかったわけです。(当時はリモートワークなんて存在知らなかった)
そして、資格もスキルもない私がフリーランスとしてやっていけることを考えたとき、丁度趣味でやっていた「ブログ」これしかないなあと。
楽観的な性格というのもあると思いますが、やってみてダメだったら就活でもすればいいか~くらいに考えていました。不安はまったくなくこれからどうなるんだろう!?ってわくわくしかなかったですね。
なんのスキルも特技もないけどフリーランス転職しようか迷っている同世代のあなたへ
※写真 憧れていた「場所と時間に縛られない仕事」フリーランス1年目は毎月のように旅をしていました。(京都にて)
アラサーだからこそ、今まで以上に人生と真剣に向き合うし、アラサーだからこそ今まで以上に一歩踏み出すのに勇気がいりますよね。今いる環境の居心地が良ければなおさら、ね。
でもね、時間は有限。チャレンジするのに年齢は関係ありませんが、少しでも早いほうがいい。
何かを決断するときって、考えれば考えるほど自分の気持ちがわからなくなるものです。それに現時点では、何が正解かなんて誰にもわからない。
それなら、決断するのに時間をかけるのではなく、選んだ答えをを正解にするべく行動することに時間をかけたほうが有意義ではないでしょうか。
私もフリーランス2年目、あのとき選んだ道を正解にし続けるために頑張ります!
なんの資格も特技もない私がフリーランスになった話まとめ
※写真 憧れていた「場所と時間に縛られない仕事」フリーランス1年目は毎月のように旅をしていました。(青森にて)